骨格美人はぶち楽ちん〈頸部と体幹編〉 ~序章[2]激痛の果てに①~
① まさか自分が
さて今度は、整体院を辞め病院への再就職直前の出来事です。
「ぎゃっ!」
施術で首をボリッとされた瞬間に、衝撃波を受けたかのような激痛が襲いかかってきました。「しまった!」と思う間も無く、悪夢を通り越して地獄へと突き落とされたような気分になりました。私は当時40代で、痛みに耐えきれずに七転八倒。大声で泣きじゃくってしまいました。今思えば「恥ずかしいったらありゃしない」な話なのですが、その痛みは首から下が麻痺するのではないかと思うほどの激痛でした。
激痛を体験してしまったら、誰が何と言おうとももう遅いのです。今度は私自身が一生元に戻れない障害を負ってしまったのです。
施術者は、私の首を触りながら私に話しかける訳でもなく、知人と雑談中でした。何の前触れもなく突然に、私の首が悲鳴を上げたのです。この激痛の感覚は本人でないとわからないでしょう。
10年以上経過した今でも、首から利き腕にかけて締めつけられるような痛み(拘縮による痛み)があります。それに加えて、腕(上腕三頭筋)の麻痺も続いており、最近はその麻痺による筋力低下が原因で手に震えが生じ始めました。
手の震えに関して言えば、痛みと痺れが強い時しか病院を受診しなかったのでここまでの状態になったのだと思います。多忙に加えて我慢強さが仇となり、だんだんと痺れや痛みが当たり前になってきて、麻痺していく恐怖心が薄れてしまったのです。似たような症状のある方は、きちんと病院通いをされた方が良いかと思います。
施術者の“慣れ”とは本当に怖いものです。
手技の安全性を維持するには、常に危機感を抱いておくことなのだ、と改めて実感しました。
看護学生時代から常に危機感を持って仕事をすることを教育をされてきたので、当たり前のことだと思っていました。意識はしていても、空気のように感じなくなってしまっては「おしまいよ!」と『男はつらいよ』の寅さんを思い出しそうな世界です。
人の身体に触れるということはどういうことなのかを再度考え直し、慎重の上にさらに慎重を重ねる必要があると実感しました。
ボリッと鳴らす手技を悪いと言うのではなく、その手技を使用する施術者は特に“危機感”を持って施術を行う必要があると言いたいのです。
「とても良い先生がいる」と聞き、別段どこも辛くはなかったのですが、知人からの誘いもあり、断る理由もなかったので行ってしまった場所でこの悲劇が起こりました。
私はその手技について何の情報も得ずに出掛けました。初めての街でしたが知人を信じきっていたので、全て任せっきりでした。治療院の看板はチラッと見たように思いますが、激痛の衝撃で忘れてしまいました。その場所も今は分かりません。私のことを気遣って知人も施術院を紹介してくれたと思うので詳しくは聞けませんでした。
湧き上がる自分自身へのマヌケさと施術者への憤りはそう簡単にはおさまりません。
しかし、起きてしまったことは仕方がないのです。仕方がないので怒りをためるだけため込んで、まとめて昇華することにしました。数ヵ月後に私はそれをポイッと空の上へと放り投げたのでした。私の場合、その人と会えなくなったことで怒りに対して考え方を少しだけずらして見ることが出来ました。そうすると何故か気持ちが落ち着き楽になったのです。
施術で危害を負わせようと思って負わせる人はいないでしょう。故意ではないものをどこまで許せるかが人にとって大事なのです。
輪廻転生がもしあるとすれば、来世に恨みや憎しみを引きずりたくはありません。これもこの世に生を受けた我が身の修業の一つと心得、前に進むことにしました。また、施術の難しさを身をもって教えて頂けたとポジティブに受け止め、感謝できるようになりました。
この感覚は日本人だからこそ持てる気持ちなのかもしれません。